緑のちから

みなさんこんにちは、のたです!

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で祖父が亡くなった話をしました。
当時私はオーストラリアにいたので、最期を看取ってあげることも
お葬式に出ることもできませんでした。
それどころか、友人と旅行に行っていたため、母親があえて私に知らせるのを
1週間程遅らせ、祖父の死を知ったのは少したってからでした。

会いにいけなかったことやお通夜もお葬式も全部終わった後に知らされた事実と
お世話になった人が亡くなるその瞬間に楽しく旅行をしていたことにひどく罪悪感を感じましたし、なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。

私にとって身内の人が亡くなるという経験は初めてでした。
父サイドの祖父で、元々年に何度も会うほどではなかったですが、これまでの思い出が思い出されたり、もう会えないのだと思うとこみ上げてくる気持ちがありました。癌で闘病生活は長かったので、覚悟はしていましたが、実際亡くなってしまうと喪失感があり、全く何もなかったかのようにすぐに仕事をして、勉強をして、という気持ちになれませんでした。

そんな時、そばにいた友人がこういってくれたのです。
「外に出て、少し歩いて空気を吸って、緑を見て癒されておいでよ。気持ちが落ち着くよ」
落ち込んでいる時に日本でそんなこと言われたことがないので、少しびっくりしつつも言われた通り、公園にいき、緑をみて鳥をみて、ボーーーーッと時間を過ごすうちに心は落ち着きました。

私は友達が落ち込んでいる時に何かしてあげたいと思うけれど、不器用で、声の掛け方はうまくありません。だから、逆に自分が落ち込んだ時も人に話しても、困るだろうなと思うから話すことも出来ないか、話しながらも相手が困るだろうなと思ってしまいます。
だからこの時びっくりしたのです。私が何があったか友人に話した時、気まずそうにするのでもなく、沈黙になるのでもなく、緑をみてこい、と言ったのです。
そういう発想って、ビル街/コンクリートジャングルの日本で生きているとまずないだろうなあと思います。普段から自然と共に、自然を大切にしながら生きているオーストラリアならではの発想なのだろうと。日本にいて、朝から晩までオフィスで仕事をし、土日も綺麗なレストランで友達とランチやディナーを楽しむような生活をしていると忘れてしまうけれど、自然って偉大なんだなと感じたのです。
冬の早朝のはりつめた空気だったり、春のぽかぽかした陽気な日中、夏の夕方や秋の夜。通年通して美しい夕日。それぞれの季節や一日の中で好きな時間が、そういえばあったなあと思い出しました。どんなに文明やテクノロジーが発展しても、やはり自然は偉大なのです。
今日の記事は学びというよりも、回想みたいになってしまいましたが、忙しい生活を送っても、自然の美しさに気づけて、大事にできる人生を送りたいなと思いました。